欠格条項改正が開いた希望の扉
~願いは「全盲でも医師になりたい」へ~
私は1999年5月、医学部5回生時に2度目のギランバレー症候群を発症しました。呼吸も含めて全身が動かなくなり、同時に視野も急激に狭くなりました。2000年4月の退院時は、目が見えないと医師になれない法律(欠格条項)があったため、左目に残された針穴のような視野が頼みの綱でした。2001年4月に5回生への復学を果たしましたが、同年7月に残っていた視野を完全に失いました。「目が見えるようになってほしい」との強い願いは絶望に変化し、一度はうつになりました。
しかし偶然同じ2001年7月に欠格条項改正の法律が施行され、目が見えなくても試験を受けられる可能性が出てきました。私の願いは、「全盲でも医師になりたい」という願いに変わり、そして気づけば絶望は希望になっていました。2003年3月の医師国家試験を全盲で受験し、合格しました。現在はペインクリニック付属の心療内科部門で、患者さんの声とイヤホンから聞こえるパソコンの音声を聴き取りながら、やりがいを持って仕事をしています。
2008年6月、視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)が発足しました。2021年1月時点で、視覚障害をもつ医療資格保有の会員は40名を超しています。HP上の機関誌では、就労に関する情報も読むことができます。見えない医師としてこれからも歩み続けます。
審査員コメント
まさに見えない医師の日本におけるパイオニアです。その存在だけで後に続く障害や病気を持った医学生たちに希望を示し続けています。やりたいことをあきらめないためには深くて強い思いが必要ですが、それがあれば実現への道も開くのだと改めて考えさせられました。さらに自ら「ゆいまーるの会」を立ち上げ、視覚障害を持つ医療従事者が支えあう組織を作り上げられた行動力に心からの拍手を送ります。 |
プロフィール
守田稔
医師
1975年、大阪府生まれ。
1995年、医学部入学。
1999年、病気から上下肢と視覚に障害をもつ。
2001年7月、失明。同年同月、欠格条項改正の法律施行。
2003年、医師国家試験に合格。
母校精神科を経て、2009年からはかわたペインクリニック心療内科に勤務。ゆいまーる代表。