高専教員としてサバイバルする
-支援環境の整備と自己工夫-
網膜色素変性症により視覚が悪化した私が休職に至り、リハビリを経て復職した経緯、そして、復職後の職場での支援体制や自分自身の工夫について紹介しています。ロービジョン眼科医との出会い、福岡視力障害センターでのリハビリ、さらに、復職にあたっての職場との折衝についても記しています。
高専教員という職業柄、職務の内容は多岐に渡り、私にできないこともあります。これを補うために、学校側から手厚いサポートを受けています。物理的な支援としては、階段への手すりの取付けや学内での点字ブロックの設置などがあります。人的な支援として、非常勤の事務員が私の仕事の補佐をしてくれます。見えづらさを補うために、仕事に様々な工夫を取り入れています。例えば、板書が難しい私はPowerPointで講義を行います。また、試験はマークシート形式にし、極力視覚に頼らないようにしています。
高専教員である私は、研究活動も続けています。視覚障害者にも関わらず、顕微鏡を使った生命科学の研究をしています。学生が私の目の代わりとなり、顕微鏡観察をしてくれます。撮影した画像を学生に口頭で説明してもらい、実験結果を把握しています。就労を続けていく上でも、「見えづらさ」を丁寧に伝え続け、周りに理解者を増やしていくことが、今後の課題と考えています。
審査員コメント
視力の低下する中で高専教員として学生と共に研究を続けられていることは、多くの学生に勇気を与えることだと思います。島袋さんだけでなく、チームで実施されている事例ですね。本人の能力や意欲に加え、周囲の適切な支援があれば、視覚障害者の可能性は無限に広がるのだと改めて感じました。このような配慮のある職場がもっと増えることによって、視覚障害者の就労が促進されることを期待します。 |
プロフィール
島袋 勝弥
高専教員
1977年、沖縄県生まれ。2004年に東京工業大学大学院生命理工学研究科博士課程 修了。学位は博士(理学)。
2005年に渡米、フロリダ州立大学にて博士研究員として勤務。
2012年4月から宇部工業高等専門学校 物質工学科にて教員となり、現在に至る。
22歳で網膜色素変性症と診断され、現在、右目は手動弁、左目は視力0.7視野2度。