シアトルでの明るいLow Vision Working Life。
アメリカ・シアトルに27年間在住しています。43歳のときに網膜色素変性と診断されました。いつも深い霧の中にいるようですが、落ち込むような事はありません。逆に、見えなかったものごとの発見があり、楽しい日々を過ごしています。
収入源である輸出業務は、自宅にあるオフィスでスマートフォンとパソコンで行っています。すべての書類はメールでやりとりするので、インターネットがあればどこでも仕事はできます。
2015年からオーダーの入力が困難になったため、ワシントン州の視覚障害福祉事務所の協力で、拡大テレビとパソコンの盲人用ソフトを購入して頂き、業務を続けています。自宅でのソフトのトレーニングや、iPhoneの盲人用機能の活用トレーニングも提供してもらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、2013年からは副業として、自宅で日本人留学生の寮を運営しています。現在、3部屋を貸していて、日本の学生にアメリカで視覚障害者とともに生活をする経験を楽しんでもらっています。料理の最中に色具合を見てもらったり、冷蔵庫の中身を教えてもらったりと、協力して生活しています。「人間としてのかっこ良さは、目に見えるものではない」と、大人になりかけている若者たちに、かっこ良さに対する価値観を教えています。
審査員コメント
海外に暮らしながら視覚障害を持つことになりましたが、精神面も含めて困難を乗り越え、自分の生活の中でできる仕事を創り出している姿勢に感銘を受けました。地元の視覚障害者団体だけでなく、JRPSにも加入され、双方から情報を得ようとしていることも評価できます。 |
プロフィール
田中 恵
輸出業
アメリカ・シアトルに27年間、在住。アメリカ企業での総務業務を経て、会社を経営する。網膜色素変性と診断され、40パーセント程度の視力と色盲と向き合いながら、現在は自宅で日本への製品輸出業務と、日本人留学生のための下宿屋を営んでいる。32歳になる娘がニューヨークに住んでいる。