不可能と思われた就労継続を可能にしたものとは?
熊谷組で現場監督として従事していた30歳のとき、工事現場での不慮の事故により、頭蓋骨骨折、脳挫傷、両眼眼球破裂を負い、一瞬にして視覚障害者となる。入院中、生き続けることなどへの恐怖感で毎晩涙を流していたが、眼科医の高橋広先生から、様々な方との面談の席や、自立・職業訓練校などの情報提供により、閉ざされた闇の中に輝く光が見えたことを覚えています。復職に向けて心の舵を切った後、福岡視力障害センターと日本ライトハウスで、それぞれ1年間の訓練を受講。訓練成果を復職後の業務に繋げるべく、訓練の成果を人事担当者に毎月報告。社内のネット環境が切り替わったことを知り、本社・支店への支援要請後、関西支店でネット環境の訓練を実施。事故から3年後、念願の復職を果たす。一方、タートルで九州地区の理事を受け持ち、視覚障害者の就労支援に努める。一人では乗り越えられない壁でも、周りの方に協力依頼をすることで、乗り越えられる壁は必ずある。妙なプライドを捨て、習得すべきものに踏み出す勇気と、絶対に負けたくないという闘争心を持てば、蓄積された経験値がゆとりに転換される。自分から行動し、可能性を高めてください!
審査員コメント
失明した3年後に復職を果たすというのは驚異的です。眼科医、支援団体、訓練施設、労働機関、事業主からの支援と併せ、必要とする時期に必要とする方々の連携があったからこそ、短期間での復職を遂げられたのでしょう。全盲者が購買業務に従事できたのも、視覚障害になる前の業務に一生懸命取り組んでこられたから可能になったことだと思います。 |
プロフィール
藤田 善久
株式会社熊谷組/認定NPO法人タートル九州地区理事
高校卒業後、建設会社に入社し、現場監督として従事するも5年後に倒産。翌年、熊谷組に入社し、現場監督に。2004年に工事現場で事故に遭い、視覚障害者となる。1年間の入院後、2つの施設で2年間の訓練を受講。07年に復職を果たす。現在は、建設機材・資材を調達する購買業務に従事している。