支援する側から支援される側へ
公務部門で管理職となり就労継続できています

 保健師として地方自治体に入職し、緑内障が発見されたものの、仕事は支障なくできていました。診断から19年後緑内障の進行により見えにくくなり、大学病院のビジョンサポート外来を受診しました。見えなくなっても仕事は続けられる、定年まで働けると励まされ、拡大読書器について紹介してもらいました。
 同じ頃、NPO法人タートルを紹介され、オンライン交流会・相談に参加しました。そこで、スクリーンリーダーを紹介され、ビジョンサポート外来主治医から職場宛てに情報提供書を書いていただき、パソコンとPCトーカーの購入に結びつきました。
 また、地元の働く視覚障害者のオンライン交流会も紹介され、月1回参加しています。スクリーンリーダーの使い方や白杖歩行については、視覚障害者情報センターに相談し対応いただきました。地域活動支援センターにも相談し、情報提供やイベントの紹介をしてもらっています。
 このように、視覚支援機器の活用や当事者のピアサポート、専門家の助言により、就労継続できています。年齢的にも管理職となり現場業務がなくなったことも幸いとなりました。
 保健師として支援する立場にあった私が、支援される側になり、その事実を受け入れるまでには相当の時間を要しました。これからも周囲のサポートを得ながら、就労できたらと思っています。

審査員コメント

 疾患の進行に伴い視力が低下しても、一人で悩まず、周囲の理解と適切な支援を得ることにより就労継続できるのだと具体的に示されており、困難な境遇にある当事者に勇気と気づきを与えます。
 支援職をしている人間は自分自身を支援するのがとても苦手。これはちゃんと必要なSOSをして自分で自分を支援できるようになった事例だと感じました。現場の保健師から管理職への転身というのも見事な逆転の発想です。

プロフィール

 

五十嵐 恭子
保健師・地方公務員
新潟県新潟市生まれ。1992年保健師となる。2000年両眼緑内障と診断される。2019年視力が低下、中心部の視野障害が進行しており手術施行、障害者手帳5級を取得。保健師としての現場業務は困難となり、現在は保健センター長として、周囲のサポートを得ながら就労継続している。

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