わたしの歩みとこれからの人生
わたしは建設機械修理工場に就職し将来は自立を夢見ていた。
30歳を過ぎ、目の疲れを感じ大学病院を受診。
網膜色素変性症と診断される。小さい子供を抱え妻も途方に暮れた。
仕事は続けながらも視力を失い50歳で、会社を離職をした。
51歳で盲学校に入寮し、あんま、マッサージなどの資格を取る。
自宅で治療院を開設し現在に至っています。
ここからが第2の人生の始まりです。妻とともに富士登山、旅行などを謳歌したり、
地元の子供たちとの交流など、楽しい思い出を作れました。
なんといっても妻には感謝しかありません。
審査員コメント
「私の人生」という事例名がとても素敵。人が生きると書いて人生、良いも悪いも勝ちも負けもない。 建設機械の整備士で工場を持ちたいとの夢が、眼の疾患のためにかなわないとなったときの喪失感を超えて、三療業の資格を取り第2の人生をしっかり歩んでこられたこと、お疲れ様です。コロナもあり職業としては厳しい面もある中、やれないことはないとのエールをいただきました。 |
プロフィール
伊藤 政文
S35年県立春里修練農場 卒業
39年 豊栄工業株式会社 入社
H 7年県立盲学校入学 9年卒業
10年 いなやま治療院開業 現在に至る