【就労事例部門】MIP賞①渡部 隆夫

休むことなく研究職の継続を可能にした
社内外のサポートと自己流の訓練

 私は日立製作所で研究職を36年続けて来ました。網膜色素変性症により40歳頃から弱視に50歳頃からはほぼ全盲になりました。しかし休職せず半導体の設計、画像の恒久的保存、細胞の分光解析等に携わって来ました。支えてくれたのは社内外のサポートと自己流の訓練です。
 弱視の頃、海外出張時に白杖を試したところ親切にされた事で心が軽くなりました。その後、社内外の視覚障害者との繋がりができ必要な事が明確になって行きました。会社の理解も早期に得ることができ居室等の安全対策の他、図表作成やバリアフリー化が進んでいない社内HPでの各種種続き等の補佐をする方も雇っていただきました。音声読み上げソフトによるPC操作の訓練も受けました。音声のみで文献や他人のプレゼンを理解するために朗読CDを就寝前に聴いたり通勤時に数値の短期記憶を向上する自己流の訓練も行いました。電車、バス、会社の近隣でサポートして下さる人も増えていきました。どなたが推薦して下さったのかは判りませんが見えなくなってからの仕事で日本写真学会から論文賞を頂く事もできました。
 一度は諦めた趣味も少しづつ楽しめるようになりました。仲間が撮影した天体スペクトルの数値の分析により宇宙のダイナミックな姿を想像したり、盲人スキー教室に参加してゲレンデを滑る等です。

審査員コメント

 中途失明の渡部さんが、大企業の研究者を続け、また余暇を充実させている姿は多くの視覚障害者に希望を与えるものだと確信します。「研究を継続する」という強い信念を持ち、通常のパソコンや歩行の訓練のみならず、渡部さん独自の訓練法には目からうろこが落ちました。中途視覚障害のためにそれまでのキヤリアをあきらめる必要はないということを示しています。

プロフィール

 

渡部 隆夫
会社員(メーカーの研究職)

1958年 東京生まれ、61歳。網膜色素変性症により40歳頃から弱視、50歳頃からほぼ全盲。
1983年 慶應義塾大学 工学研究科 修士課程修了語に日立製作所中央研究所に入所。
1989年に米国Yale大学で修士号、1999年に慶応義塾大学より博士号(工学)を取得。
2000年に発明協会から山梨県知事賞を、2016年に日本写真学会から論文賞を受賞。
2018年に日立製作所を定年退職。現在、同社基礎研究センタ シニア社員。

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