生涯チャレンジ!見える社会から、見えなくても大丈夫な社会に

 私は22才で障害者手帳を取得し、周囲に言われるがまま国立身体障害者リハビリテーションセンターに通い理療の勉強をしました。なぜ目が悪いと、鍼灸マッサージ資格を取得して、その道に進まなければいけないのだろうと考えながら、一般事務職として公務員となりました。しかし、そんな中でも、自分にしかできないことがあるのではないか?と常に自問し続けて、仕事の傍ら、自分の得意を生かしパラリンピックにも出場し、やってみたいと思ったスポーツにチャレンジしてきました。ブラインドサッカーのチームも立ち上げました。
 「障害者はかわいそう」というイメージを変えたい、みんなが憧れるような障害者像を作ってみたい、その思いから、眼の健康を考える企業に再就職しました。現在、2030年に向けた長期ビジョンのひとつ、インクルージョンの推進役としてグローバルに取り組もうとしています。
 世界中には、医療環境が整わず、まだまだ視覚障害者にならなくてもよかった仲間がたくさん生まれています。彼らの「見える」を守りたい。また、見える社会から、見えなくても大丈夫な社会に向けて、私たち視覚障がい者の役割は大きくなっていくと感じています。今こそ、見えないからこそできることを見極め、見えない立場で社会に貢献したいと考えています。

審査員コメント

 公務員から民間企業に転職され、インクルーシブな世界の構築を目指される姿勢に共感を覚えます。また、ブラインドサッカーでは見えている方を指導して共にスポーツを楽しむ姿勢に、共生社会を感じました。
 「自分にしかできないことがあるのではないか?」と問い続け、様々なことに取り組まれ、現状を変えたいという思いから湧き上がる使命感に背中を押され、今その思いが世界に向いていると感じます。ご活躍に期待しています。

プロフィール

 

葭原 滋男
会社員

1962年東京都生まれ、埼玉県鶴ヶ島市育ち、現在は東京都港区在住。
1984年網膜色素変性症により手帳取得。
1992年バルセロナから2004年アテネまでパラリンピックに4回出場、金銀銅4個のメダル獲得。
1988年から28年間、東京都庁に勤務。
2019年参天製薬株式会社入社、インクルージョン推進リーダーとして取り組み中。

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